雅没徒のフォークな日々
1972年から1977年くらいまでが
いちばん ”フォークな日々”だったような気がする。
吉田拓郎や井上陽水に影響されてギターをはじめ
たくさん曲を書いたのがこのころ
曲はすぐに書けるようになるけれど
詩のほうはなかなか説得力のあるものが書けない。
人生経験が薄いから ともいえるが
さりとて人生経験が豊富だからといって
いい詩が書けるわけでもないと思う。
やはり詩のほうはある程度才能がいるんだと思う。
1972年のバイタリスフォークフェスティバルで
強い衝撃を受けたのが
RCサクセションの ”言論の自由” という曲
すでに何回もいろんなとことで紹介してきたけど
♪学校にいるときには それは許された
卒業したら それは通じなかった
本当のことなんか言えない
本当のことなんか言えない
言えば殺される。
言論の自由は法律的には保証されているけれど
法的には保証されていない。
法律的には保証されているから
何を言っても逮捕されることはないけれど
様々な不利益がふりかかってくる
実際 このとき歌ったRCサクセションがMCで
”私はブラバスを使っております” と発言して
業界から干されてしまったことで
歌詞の内容を身をもって示した形になった。
あれから30年以上たって
言論 は ネット上にも広がった
様々なトラブルがやっぱり起きている
ネット上には直接のコミュニケーション以上に
言論の自由が制限されているのが現実らしい
戦後の社会に法律としての治安維持法はないけれど
法としての治安維持法は存在するらしい。
このころ吉田拓郎が言ってた言葉に
”見出し人間” というのがあります。
見出しを見ただけで
すべてを理解したかのようにふるまう人間
残念ながら現在でもたくさんいます。
というよりあのころより増えている気がします。
ほんの一部の言動から
その人のすべてを決めつけてしまう
どうしてそんなにレッテルを貼りたがるのか
♪理屈ばかりをブラ下げて
首が飛んでも血も出まい
言葉をみんな食い荒らし
知識だけがまかりとおる
これは吉田拓郎の ”今はまだ人生を語らず” に
収録されていた ”知識” という曲です。
学問というものはすればするほど
自分がいかに何も知らなかったかがわかってくるはずで
本気で学問をしてきた人はたいてい謙虚になります。
聞きかじりの知識で威張っている人は
何も知らないだけでなく、傲慢な人が多い
♪自由を語るな不自由な顔で
君は若いと言うつもりかい
年功序列は古いなどと
看板だけの知識人よ
傲慢なうえに頑固な人はさらにたちが悪いし
さらに自分勝手で融通のきかない人
多いんですよ まったく